教育2 どの世代のSEも、いつも新しい現実に追われてきた

前回の教育記事では、私の経験という狭い範囲の事例をもとに、教育体制が整わない現状の私見を述べました。
今回は、もう少し大きな視点・切り口で私見を書かせて頂きます。

ちなみに私、古今東西の歴史が大好きでして、多くの物事は歴史の必然性があると思っています。
歴史は偶然や不世出の才能も多分にあるのがロマンですが、大きな流れ・多数派の主張といったものは、やはり必然的に成り立っていると考えています。

歴史書に載るようなレベルだけでなく、業界の流れ、社内の流れ、部署の流れ、個人の性質、大小あれど、一つの事実や現状を時間軸でも捉える事で、正しい理解、立体的な理解に繋がると思うのです。

猿人が二足歩行して400万年。
石器を使いだして200万年。
今の現生人類が生き残って20万年。

その長きの中で、直近の100年や数千年の差ではDNA的にほぼ変わらないと思います。(病原菌への抗体は随分違いそうですが、「思考力」「記憶力」等の考える力において)

DNAに差がないにも関わらず、広義のシステムエンジニア(或いは全ての社会人)は、各時代ごとに思考・性向の特徴が表れてきます。
これは、生まれ育った環境、働いてきた環境の違いによるものと思います。
では、各世代の人たち、教育を根付かせてこなかった先輩たちは、どのような環境で仕事をしてきたのか、私なりの理解を述べていきたいと思います。

コンピューターがやってきた時代 1950年代~

国内大手企業が、自社用のコンピューター(メインフレーム)を導入しだしたのが概ね1950年代、それが大型汎用機と呼ばれだしたのが1960年代。つまり50~60年の歴史になります。(2018年現在)

初期の大型コンピューターでは、まず決算処理のシステム化から始まり、債権債務などの近隣業務や給与計算などと徐々に拡張し、更には事業活動の省力化、効率化に資するシステム開発へと広がっていきました。

初期はバッチ処理のシステムです。ユーザー部門で手書きした伝票がコンピューター室に集まり、キーパンチャーが一括で入力していました。
今皆さんが当たり前に使っているキーボードではありません。キーパンチ機という穴あけ機で、専用カードに穴を空け(マークシートのイメージ)、そのカードをコンピュータに読み込ませていました。
プログラマは机上デバッグが当たり前、アセンブラプログラムを流すのも順番待ち、イージーミスは非難轟々だった時代です。
(おそらく)何億円もする機械を、一時的に占有する訳ですから。(伝え聞いた話)
1970年の大卒初任給平均が4万円だったことを考えると、より大きな数字に感じます。

初期のネットワーク

その後、徐々にオンライン化がなされていきます。
まだTCP/IPなんてプロトコルはないので、メインフレームのメーカー毎に異なるプロトコル(IBMプロトコル、日立プロトコル、富士通プロトコル、・・)を利用しました。
オフィス内・工場内にひかれた同軸ケーブル、太くて固く、スピードも今より遙かに遅い。
事業所間を結ぶ専用線、その価格は、1990年代の専用線、東京-大阪、64kbpsでたしか、38万円/月ほどしていたように思います。(うろ覚え)

パソコンが普及する前は、端末です。
端末にOSはありません。端末の電源を入れると、離れたメインフレームに繋がり、そのCPUとメモリを少し借りて、文字情報を表示します。
端末のディスプレイは、解像度なんて概念はありません。縦横限られた文字数のテキストが表示できるほか、制限つきで罫線が引ける程度です。
私が知っている範囲では、端末1台200万超えだった時代があり、そこから100万程度に値下がりしていたことを覚えています。
その後、Windows3.0あたりから、端末のエミュレーターソフトが稼働するようになり、TCP/IP(を使ったメインフレームプロトコルのエミュレート)で通信できるようになってきました。
TCP/IPすらも有料ソフトです。
総額で1台あたり100万程度でしたが、端末エミュを落とせばワープロや表計算が使えたので、パソコン便利だね、のスタートです。

パソコンとネットワークの発達

1990年代中ごろからは、徐々にインターネットの知名度があがり、個人用メールアドレスなどが普及していきました。
今でこそインターネット、E-Mail、TCP/IPは当たり前のものですが、当時は対抗しようとする製品群がたくさんありました。NetWareやNotesなんてのはその代表格です。

2000年以降は、パソコンのCPU、メモリ、HDDがどんどん高性能化・高容量化し、ネット回線も高速・定額となってきたのは皆さんご存知の通りです。

パソコン普及の副作用

パソコン発達、簡易プログラミングの登場で、企業内の一部でEUC(End User Computing)なんてものがもてはやされました。高額で融通の利かないシステムエンジニアなんかに頼まず、自分でシステム化しようという風潮です。
パソコン雑誌が大量に売れた時代、そのメディアがEUCを煽り、少々困ったパワーユーザーが量産されてしまいます。
彼らの一部は、個別部署最適のExcelマクロ、ACCESSマクロ、VBAマクロを作り、狭い範囲で業務効率化を薦めます。勿論、本人は良かれと思って。
そのマクロ群は、その時々で強力な効果を発揮し、各ユーザーにとって無くてはならないツールとして活用されます。
表面上は素晴らしいものの、仕様書を作るでもなく、コーディングは保守性がないばかりでなく、視認性すらない。作った本人しか分からないお化けプログラム。
何の法則か、マクロ作成者は軒並み定年カウントダウンのご年配ばかりでした。
彼らの定年後、誰も面倒を見ることができない環境となり、WindowsやOfficeのバージョンは次から次へと上がっていき、当然ながら動かなくなる。依存していたユーザー達は自身の仕事が回らないという危機に直面します。
ユーザーは情シス部門やソフトハウスなどにマクロ群を持ち込み、何とか新Windowsでも動くように要望するも、返ってくるのは高額の費用見積り。仕様書もないお化けプログラムなので当然の帰結ですが、これにユーザーは納得しません。
システムのプロなら、見ただけで簡単にシステム改修できるだろうという、まるでお医者さんが病気を診断して処方せん出すようなレスポンスを期待していました。
これらはしばらくの間、金銭的・時間的コストを費やしていくこととなります。
日本中の多くの企業で経験したと言われる問題なので、40代以上の多くのシステムエンジニアにとって、忘れられない教訓になったと思います。

ここからはあまり語られませんが、実は当時、誰もが知る大手ITベンダーに、人月200万で依頼したとしても、あってないような設計書(意味が分からない内容)、お化けコーディング(視認性なし。エラー処理が杜撰、ID/Passをソースに入れる、その他諸々)、共通部品化が素人レベル、センスのないDB設計(レスポンス悪い、ラウンド処理が考えられてない、いつか破綻する)、などなど、EUCと同レベルのものが平気で納品されていました。
受入テストなどで突き返すと、先方の営業から「全部作り変えになるレベルです。そのような指摘は勘弁してください。」と言われる始末。
2000年代初期に開発されたシステムの再構築案件などで、そういった状況に直面した方も多いのではないでしょうか。
当時は様々なことが手探りで、オープン系は新人レベルが迷走しながら作っていることが多かったのだと思います。
優秀な人は金融や官公庁の案件に取られて、製造業の案件は扱いが低かったのかな、とも思っています。

基幹システムの成熟

一方、基幹システムはというと、これも順調に進化していました。
ERPも存在はしましたが、主役は長らくメインフレームでした。
メインフレームでもCPU、メモリ、ディスクが進化します。億円の価格据え置きで、高速化・大容量化していきます。
今でいうクラウドのようなサービスも始まっていきます。(ベンダー設置のメインフレームに接続でき、そこでCPUいくつ、メモリいくつ、ディスクいくつ、を毎月定額で利用)

リソースが高性能化したことで、対象の業務領域も広がっていきますし、利便性も向上していきます。
販売管理、生産管理、購買管理、在庫管理などの王道は付加価値を高め、貿易管理、他社とのデータ交換、BI(当時はデータウェアハウス)向けのデータ作成などに広がりを見せます。
ここで新領域のシステム化を経験した人(任されるほど優秀と判断された人材)は、才能と経験が重なった訳で、(もともと優秀なだけかも知れませんが)その後も活躍されている方が多いように思います。幅広い視野で業務を俯瞰できた経験は、貴重です。

直近10年程度のことは、ご自身の目にしても、伝聞にしても、まだ記憶に新しいかと思いますのでこの記事では割愛します。

どの世代も、同じ仕事を繰り返してきたのではなく、時代の流れ、人間の流れに応じて、ある意味で常に新しいことをやってきました。
すると、教育体制のデファクトスタンダードなど、自然には生まれないのだと考えます。

何が原理原則で、何が枝葉末節なことなのか。
誰かが棚卸をしなければならない。
私がその力量に達しているかは半信半疑ですが、自分なりにやれるところまで、いつかこのサイトで整理を試みたいと思います。

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