「教育体制がなさすぎる」
そう思ったことは無いでしょうか。
私は、何度も思ってきました。
約20年の社会人生活を経て、たどり着いた答えは「仕方がない」「個々人が悪いんじゃない」「自分は何かを残していこう」でした。
勿論、充実した教育体制が整備された企業もあると思います。
素晴らしい先輩に恵まれ、成長を実感している人もたくさんいると思います。
ただ、個人的な感覚では十分な環境が大半だとは、どうしても思えません。
では何故、教育体制が不十分な状態で、「仕方がない」のか、私なりにその要因を抜粋して図にしてみました。
この図は、次回以降の記事でも説明に使っていきます。
私の経験談で恐縮ですが、入社当時、5日間で25万~30万もするような外部講習会を何度も受けさせて頂きました。
しかし、実際の仕事と繋がるような内容ではありませんでした。
もう少しいうと、眠くなるような内容が多くて、そもそも勉強が苦手な私にとってはあまり身に付きませんでした。
少しは覚えたとしても、仕事で使わないから忘れてしまう。
(少し極端にいってます。ゼロではない、けど、自分に吸収すべき順番としては、絶対に違っていた。)
いざ仕事を割り振られても、実践的な知識はないので、殆ど自ら調べるしかない。
先輩も少しは教えてくれるけれども、私の周りにいた先輩は、人に教えるのがどうにも好きではない模様。多くを聞くと煙たがられることも。
やっぱり自分で学ぶほかない。
自分で学び、行う仕事。それは必然的に自己流になっていく。
結果が良ければ口出ししない上司もいました。
反面、私が孤独にオープン系システム(サーバーやパソコン)を手探り開発しているのに、メインフレームの規約基準に従っていないと叱ってくる上司もいました。
では仕方ないと、誰も説明してくれないけどもメインフレームの規約基準を読みました。(メインフレームも業務も知らないので、何回読んでもいまいち分からない)
世間一般の開発方法論も読みました。(若いころの自分には難しくて、すぐ眠くなりました)
誰も教育してくれない、でも時代はオープン化・Web化の流れで開発案件は増えてきます。
但し、当時、全く技術が枯れていないオープン系システムでは、基幹システムに比べて格段に重要度の低い、「あったら便利」システムの案件ばかり。つまり、大して予算がつかない。
「高額になるんだったら、そのシステムいらないよ」というレベルです。
本番稼働後にOSやミドルのバグなどに起因したとしても、システムダウンの度に詳細な障害報告書を書かされる。当時の上司たちの感覚はメインフレームなので、「OSやミドルにそんなバグが残っている訳ないだろう」との調子です。
少し愚痴まじりになってしまいましたが、私が経験してきた多くの理不尽の中の一部です。
今の若い世代の方々も、私の経験と表面的には違うけれども、多くの理不尽を感じてはいませんでしょうか。
例えば、ハードやOSは正常動作して当たり前なんだから深く気にすることはないのに、そんな部分まで設計書を書けと言われる。(本当は大事なんだけど、その大事さを伝えてくれる人がいない)
そもそも、設計書の書き方なんて教わってない。
ユーザー部門・顧客側の担当者・上流のSEが、正確な仕様を取り纏めるべきなのに、曖昧だったりフラフラしていたりする。(目の前の現実を受入れて、乗り越えていくべき現実だけど、誰も手助けしてくれない)
それで再起テストを確実にやれなんて言われても、無理に決まっている、などなど。
実は、周りの先輩や上司たちも、『分かっていない』のです。(だのに、無駄に偉そうな態度は取る。プライドは人一倍高かったりする。)
だから、後進を体系的に教育したくても、そのスキルがないのです。
中には、「自分だって教育して貰いたかったのに、やって貰ってない」という負の感情を抱えている人もいます。
更には、実力は伴っていないのに、自分が詳しいほうだと誤解している人もいますし、自らの少ない知識を伝えてしまうと、自身の優位性が損なわれてしまうと懸念して勿体ぶる人もいます。
分類すると、下記のような人間が増えているように感じています。
①虚勢を張ることに長けたメッキ人材(相手に分からない言葉を無意味に並べ立ててシッタカする人を含む)
②誰かの揚げ足をとり、重箱の隅をつつき、批評・批判をすることでレビューアー気分の評論家
③成功事例の近くに寄って、真の功績者(及び作成資料)からの受け売りを、まるで自ら貢献したかのように吹聴するスピーカー人材(手柄横取り)
KPIだなんだと言っても、システムエンジニアの実績を数字化するのは極めて難しいもの。
結果として人事評価は「人のイメージ」要素が強いので、上記のような人間でも案外出世します。そして多少なりとお金や決定権を持っていきます。
このような人たちに教育を期待しても、非常に残念ながら、無い物ねだりに過ぎないというのが現実かも知れません。
私の結論:教育環境に恵まれなかったならば、自ら変えていく努力を重ねるしかない